ブックカバーチャレンジから…

HISTORY

★自分個人のFBに投稿したものを転載し加筆しました★

#ブックカバーチャレンジ

函館の盟友タムちゃんから、ブックカバーチャレンジのバトンが… さすがにタムちゃんからの頼みは断れないので、久々の投稿です。長文をお許しください。 あれこれ考えた結果、1冊目は自称〈弘前オタク〉らしく、郷土本で、山口清治(故人)さんの『辞令から見た戦後史』(道標社)をチョイス。

この本は昭和58年10月に発行されたもので、陸奥新報に昭和58年2月から5月にかけて連載されたものがベースとなっている。弘前市役所職員だった著者の山口清治さんが、戦後市役所に入所し、様々な課での仕事を通じて、弘前の戦後史にフォーカスを当てた貴重な資料であり、見方を変えれば山口さんの青春奮闘記とも言える作品。山口さんは昭和29年から35年まで弘前市の観光係を務め、観桜会(現さくらまつり)を担当した方でもあり、オフィシャルな市史には出てこない当時の観桜会の裏話が数多く綴られている。

戦後からしばらくの間の観桜会は、今では信じられないほどカオス状態であった。 当時の弘前の観桜会は日本三大高市のひとつに数えられ、桜前線の北上とともに全国から多くの商売人が集まってきてはトラブルが続出、園内の環境も戦争中の放置と戦後の混乱で荒れに荒れていたという。花見の宴であるはずのおまつりが、とても花見をゆっくり楽しむどころの環境ではなく、あらゆる面で制御が効かない状態になっていたという。山口さんは7年間、観桜会の担当で、一つ一つ問題の解決に努めてきたが、毎年桜の季節の到来が憂鬱になるほど大変だったらしい。 今でこそ整然とした環境の中で桜を愛でることができるのが当たり前の弘前公園だが、その裏には山口さんをはじめ当時のまつりの裏方の皆さんの奮闘の歴史がある。それは単なる自分たちが生まれる前の話なのではなく、それがあったからこそ現代へつながっていて「先達への感謝」を忘れてはいけないということをこの本は教えてくれる。 混沌としていた時代の観桜会に従事した山口さんが身をもって感じたことを記した一節が心に響く。

みんながみんな自はあるが他は見えなくなってしまう

目くそ鼻くそを咎める類のへ理屈が横行する

混乱が起こる

それを納めるのが計画であり、基準である

そして説得であり、

それを実行する側の人格であり、

態度である

今日、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐ緊急事態宣言が39県で解除となった。5月18日には弘前公園の閉鎖も解除される。まだまだ予断を許さない状況ではあるが、弘前公園の門が再び開くことを喜びたい。 弘前公園の長い歴史の中で、弘前さくらまつりの長い歴史の中で、今年のような事態は初めての経験であり、歴史的にも大きな苦渋の決断だった。誰もが先が見えない大きな不安に苛まされたこの数カ月、毎日のように状況が変わり、いろんな情報が飛び交い、心の休まる日はなかったと思います。誰もが愛して病まない弘前公園、春の桜を、封印してまでみんなで守った「思い」をこれから100年後の未来の人々はどう感じるのだろう。

山口さんが記録した戦後の観桜会に関する記述を読んで当時の人達の「思い」を知った自分の様に、この時代の誰もが大事にしていた大切な季節をみんなで耐え守った我々の「思い」を未来の人々がいつの日か気づいてくれればと思う。そうやって「思い」は継承され、きっとこの“まち”は続いてゆく。

引き続き感染防止を徹底して行きましょう。

◇以下余談◇

著者の山口清治さんは、ずいぶん前にお亡くなりになられたのだが、生前中は以前の私の職場、弘前観光協会の創立25周年記念誌の編纂にもご協力いただき、自分が若い頃、大変お世話になりました。 山口さんの文章は硬軟自在のユニークさと小気味よいリズムがあり大変読みやすく、桜まつりの仕事に従事していた当時の私にとって、まつりの成り立ちを把握する上で正にバイブルのような1冊でした。 今から5年位前に、かだれ横丁で飲んでいたら、山口さんの風貌、声ともそっくりな男性と偶然隣合わせた。山口さんが生き返ったのか?と思うくらいそっくりだったので、もしや!と思い、名前をおたずねしたら、山口さんの息子さんでした(笑)、山口さんの息子さんもお父様同様、弘前の裏歴史話に精通していて、それ以来、時々歴史の四方山話を酒の肴に語り合う仲(ケヤグ)に。こういうのを「縁バウンド」という(笑) 故山口清治さんが取り持ってくれたご縁に感謝です。

実は、山口さんの息子さんと出会った前日、もう一つご縁がありました。この前日、弘前市内の中学校の校長教頭会の会合で講演の機会をいただいた席で、個人的にずっと研究していた大正時代に観桜会開催の一つのきっかけを作った当時の弘前の若者集団〈呑気倶楽部〉の主宰者・茶太楼こと古木名均さんとソックリな方と隣り合わせ、名札を見たら同じ古木名姓で、もしやと思い、おたずねしたら、茶太楼さんのお孫さんでした! 2日連続で、観桜会の歴史を語る上で欠かせないレジェンドの息子さんやお孫さんに出逢うという奇跡に不思議なご縁を感じました。以来、古木名さんとも仲良くさせていただいております。自称・弘前オタクとしてはこの偶然は至福の喜びなのです。

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