呼応

雑感

週末、スケジュールの合間をぬって2つの歴史講座を受講した。1つは昨日、高岡の森弘前藩歴史館で開催された歴史講座「江戸時代の旅と仙台藩・弘前藩~旅行者・街道・領主」、もう1つは今日、弘前市博物館で開催された母校・東奥義塾の歴史を辿る歴史講座「イング夫妻の貢献と津軽地方初の米国留学生」。長引くコロナ禍でこの手の講座受講は久しぶり。新しい発見も多くこの2日間で今後の街歩きガイドの蘊蓄に使えそうなネタをたくさんチャージすることができた。

今日の講座が始まる前に、博物館の館長さんが私を見つけ近寄ってきた。

「最近は、博物館の展示以外にも前川さんの設計した博物館そのものを見に来るお客さんも多いので、建物の特徴をまとめたリーフレットを作ってみました。けっこう喜ばれてます」

館長さんはそう言って「前川建築の魅力~弘前市立博物館~」というリーフレットを私に手渡した。

実は、議員になって初めての議会定例会の一般質問で、私は前川國男建築を取り上げた。

議員になる前に、東京で旅行雑誌の出版に携わっている知人から「もっと弘前は前川國男建築に誇りを持つべきだ。もっと押すべきだ」と熱く語られた。その人曰く、弘前の人はあまりにも身近過ぎて、前川建築の価値を知らない人が多い。街の中に前川建築の建物が8棟もあるということは、他の街の建築ファンからすれば、奇跡的なことなのだ!と。

それがずっと頭にひっかかっていた自分は、前川建築を目的に訪れる旅人の期待に応えるのも弘前市民の役目だと、一般質問のデビュー戦で熱く語ったのだった。

怖いもの知らずの新人議員の質問に市の担当部署も正直困ったことと思う。建物には用途がある。博物館にしても大事な展示物やお宝を収蔵している言わば金庫のような厳重性を求められる役割もあるわけで、建物の建築的価値を「見せる」という概念が希薄なのも致し方ないのかもしれない。しかし、観光ニーズは時代とともにどんどん多様化し、今は「建築」という資源、財産も旅人が弘前を旅先に選ぶ動機の一つになっている。そういった建築物を愛する旅人たちが前川建築を訪ねて弘前にやってきて、地元の人がその期待に応えることが出来ないのは寂しいではないか。そんな思いからの質問だった。

4年の任期の議員活動も間もなく折り返しを迎える、そんな今日、館長さんからリーフレットを渡され、あの時の私の思いに「呼応」してくれたんだと知り嬉しくなった。

市議会議員は市民の声を市政に届けるのが仕事である。私の場合、その活動範囲から旅人の声も聴こえてくる。弘前は観光の街。その恩恵を受けている街であるからこそ、他所から来た人の声も市政に届けなければいけない。それが自分のミッションだと、あらためて肝に銘じた週末であった。

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前川國男(1905-1986)

1905年5月14日新潟県に生まれる。

1928年に東京大学を卒業。卒業と同時にパリに赴き、ル・コルビュジエのアトリエで2年間学ぶ。帰国後、レーモンド建築設計事務所を経て、1935年に前川國男建築設計事務所を設立。

1968年、日本建築学会から第1回の「日本建築学会大賞」を受賞。また、朝日賞、毎日芸術賞、オーギュスト・ペレー賞等を多数受賞している。

代表作には、東京文化会館・紀伊国屋書店・京都会館・熊本県立美術館・東京海上ビル等、国内で201点、外国には12点の作品を残している。弘前市には、前川の第1作から晩年の作品まで8つの建築物が残っている。(弘前市HPより引用)

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