西濠の関山 ~Nさんを偲んで~

雑感

今年の弘前さくらまつりはサクラの記録的な早咲きで、ソメイヨシノはほぼ葉桜状態になったようだ。弘前公園の桜開花情報によれば、現在は、シダレザクラ(本丸)、横浜緋桜(東門付近)、御車返し(ピクニック広場・東門付近)、大寒桜(北の郭)、カスミザクラ(東内門土塁)、弘前雪明かり(ピクニック広場・原木)で、東錦(ピクニック広場・与力番所付近)等が満開~見ごろを迎えたようで、今後は鬱金(本丸・ピクニック広場)、関山(四の丸・ピクニック広場)、御衣黄(追手門付近)が徐々に見ごろに入っていくと思われる。弘前公園のサクラと言えば圧倒的なボリューム感が魅力のソメイヨシノに人気が集中するが、他のサクラもソメイヨシノとは違った華やかさがありなかなか見事で実はソメイヨシノが散った後に色とりどりのサクラが咲く。平年は、まつりが終わるころ、あるいは終わった後に見ごろを迎えるサクラが、早咲きの今シーズンはGW中が見ごろだと思う。

弘前公園の遅く咲くサクラの中で個人的に好きなのが、西濠のサクラのトンネルの中にある「関山」(上記画像※本画像は2014年に筆者が撮影)だ。ソメイヨシノで埋め尽くされた西濠の中に1本だけあるこの関山はソメイヨシノが葉桜になったころに咲き、西濠が新緑につつまれ出した頃、そこだけピンクの色彩を放ち一際目立つ。この関山は正徳5年に弘前藩士が京都の嵐山から持ち帰ったものの1本ではないかといわれている古木。この関山のことを教えてくれたのは、先月ご逝去された弘前観光ボランティアガイドの会の前会長・Nさんであった。

Nさんは西濠の隣の五十石町で育ったことから弘前公園は自分の家の庭のようなものだったらしく、幼少のころからこの「関山」を見ていたのだと思う。子供の頃は観桜会の季節になれば、毎日のように公園で出かけたそうで、よく昭和初期の観桜会の様子を語って聞かせてくれた。当時の観桜会と言えば、旧制弘前高校生のデカンショ節がNさんの幼いころの記憶に強烈に残っているそうで、それを歌って聴かせてくれたり、毎日サーカス小屋の前をウロチョロしていたら、サーカスの人に顔を覚えられ、こっそりタダでサーカスを見せてもらった話など、彼の語り口は当時の情景が目に浮かぶようで面白かった。

Nさんいわく、花見の季節の弘前公園には何とも言えない独特の「匂い」があるのだという。サクラの花の匂いでもなく、露店の匂いでもなく、人の匂いでもなく、これらが混然となった独特の匂いが、春の到来を告げるのだと。

弘前公園とともに生きてきたと言っても過言でないその実体験を活かした生前のNさんのガイドぶりは多くの観光客に喜ばれた。彼のガイド中の十八番は、本丸から岩木山を仰ぎ見ながら語る方言詩人・一戸謙三の「弘前(シロサギ)」の詩の朗読で、その情味溢れる津軽弁は聴く者の郷愁を誘った。

多くのことを教えてくれたNさんには感謝の気持ちしかない。心よりご冥福をお祈りいたします。

これからもソメイヨシノが葉桜になってから、西濠で1本だけ一際咲き誇る「関山」を見るたびに、Nさんのことを思い出すだろう。

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