夏の思い出

on the street

先日、友人たちのバンドが出演する野外ライブに出かけた。

コロナウイルス感染に配慮した諸々な工夫が施されたライブ会場、スタッフの方たちはいろいろ大変な準備があったことと察します。本当お疲れさまでした。 久々の野外でのライブにコロナ禍の中でささくれ気味だった気持ちが和らいだ。 夏のライブはやはり野外が似合うと久々に実感するとともに伝説の野外ロックフェスのことを思い出した。

今から30数年前、自分にとっての夏といえば、宮城県村田町のSUGOで行われていた「ロックンロールオリンピック」だった。かつてロック不毛の地・仙台でバンドブームのはるか前に活性化を目論みハウンドドッグの大友康平が提唱し、1981年から1994年まで仙台のスポーツランドSUGOの特設ステージで開催された伝説の野外ロックフェス。14年間で、のべ143バンドが出場。全国でも10年以上、同じ場所で続けて行われた野外イベントは珍しく、しかもノンスポンサーでチケット収入のみで運営されていたという。先を読む出演バンドチョイスには定評があり、このステージに立った直後にブレイクするバンドも多かった。 毎年、ねぷたが終わり、お盆前までの間に行われたこのフェスが自分にとっての夏の風物詩であった。 初めてこのフェスに参加したのは1983年、当時自分は高校2年生だった。日本ロック界伝説のサンハウスがその夏限りの再結成しこのフェスに参加すると聴いて、「これは行かねば!」とバイトをして旅費を捻出し、仙台の親戚の家に泊めてもらいながらの遠征。初の野外フェスの解放感や生で見る憧れのプロのミュージシャンのプレイにぶっとんだ。特にショックを受けたのが、オープニングアクトを務めた仙台のアマチュアバンドのクオリティの高さだった。当時自分はアマチュアバンドを組んでいて、弘前も高校生バンドが多く、それなりにレベルが高いと思っていたのだが、仙台のアマチュアは数段先を歩いていた。「胃の中の蛙」という諺の意味をこの時初めて実感するほどの衝撃だった。以来自分はこのステージに立つことを目標にバンドに青春を費やした。 その夢がかない、1986年に東北のアマチュアバンドの代表の一つとして、このステージに立つことができた。錚々たる憧れのミュージシャンとの共演、しかもトップバッターであった我々は出番前のPA裏で心臓が口から飛び出てしまうんじゃないかと思うくらいド緊張していた。その時間の入場者数は主催者発表で3,500人。弘前市民会館の約3個分の聴衆である。後にも先にもあんな人数の前に立ったことがない。余談だが、確か1988年には、現在青森県内で活動しているタレントで、最近はホットロッドキャデラックのボーカルとしても活躍する成田洋明さんもWITHというブルージィーなロックンロールバンドのボーカルとしてこのフェスに出場している。 ロックンロールオリンピックは1994年に閉幕。後の国内の野外ロックフェスに大きな影響を与えた。 会場であったスポーツランドSUGOは山の中でサーキットやプールもあり解放感がたっぷりで、正に東北の短い夏の日の「桃源郷」であった。あれがあったから、この後でやってくる厳しい冬を乗り越える力をチャージできた。

先日の野外ライブで、そのことを思い出し、人間にとっての「ハレの日」の大切さと、音楽の持つ癒しの力を再認識した。 長引くコロナ騒動の中、晴れない気分の毎日が続く。不安やストレスでついつい苛立つことも多い。心もいいかげんくたびれてきている。何か元気になるようなものがあればなと思っていったところに、昨日、津軽地方を舞台に津軽三味線が得意な少女の成長を描いた越谷オサムさんの小説「いとみち」が映画化されるとの朗報が!メガホンを取るのは青森市出身の映画監督横浜聡子さん。ヒロイン相馬いと役は、青森県平川市出身の女優駒井蓮さんが務め、撮影は9月中旬から全編津軽地方で行われ、2021年の全国公開を目指すという。

コロナ禍の中での撮影について松村龍一プロデューサーは「ロケ隊は細心の注意を払い、健康管理に努めていく。青森県の人たちと一緒に喜びを分かち合える作品にしたい」とコメントした。(東奥日報記事より引用)

情報がリリースされてからSNS上ではこの映画に期待する声が多く寄せられている。やはり長引くコロナ禍を耐え凌ぐには、こういう街の元気を取りもどすハレの話題も必要だ。

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