レトロモダンな弘前市役所

HISTORY

弘前市政施行130周年を記念して令和元年12月発行の「弘前市議会だより」第59号の表紙に、1892(明治25)年新築完成当初のレトロモダンな弘前市役所の写真が採用された。

この写真を見た市内にお住いの高齢の女性から「懐かしい」と反響のお電話が議会事務局にあったそうだ。

一番最初の市役所は東長町にあった戸長役場を買収し仮の庁舎としていたが、1892(明治25)年に現在の元寺町にある市民中央広場の場所に洋風の木造二階建の弘前市役所を新築した。正面玄関上にバルコニーのある、当時としてはきわめてモダンな庁舎で、1959(昭和34)年、市役所が現在の場所に移った後は、図書館や農協などの団体の仮住居に使われた。その後1976(昭和51)年、老朽化のため解体され、後に現在の市民中央広場になった。

現在、土手町から一番町の坂をのぼると、桜大通りにつながるが、このレトロモダンな市役所が新築された明治時代には、まだ桜大通りはなく、一番町坂の突き当たりには弘前警察署があり(※ちなみに、当時は警察署のことを地元の人は隠語で「一番町の突き当り」と呼んでいたそうだ)、市役所と隣り合わせて建っていた。1904(明治37)年からは、市役所の道を挟んだ右隣に第五十九国立銀行本店(現青森銀行弘前店)が完成、後に左斜め向かいの角地に現在のみちのく銀行の前身である弘前無尽会社(現三上ビル)が建った。この一帯は当時の弘前の政治、経済の中心だった。現在も一番町坂の途中にハンコ屋さんが数軒あるが、それはその頃の名残ではないかと思う。

かすかではあるが、小学生の頃にこのレトロモダンな庁舎を見た記憶がある。解体された後は、この場所はしばらく塀に囲まれたただの空き地にになっていた。いつだったか、この空き地で当時全国的にブームを巻き起こしたスーパーカーの展示イベントが開催されたことがあり、ここにカウンタックやフェラーリを見に行った記憶がある。

現在も古い洋風建築が数多く残る弘前市だが、古い写真集を見ると、明治、大正時代にはもっとたくさん瀟洒な洋風建築物があった。これらが現代も残っていたら、どんな街並みになっていただろう…。

せっかくなので、古い町並みの画像を入手したら、「まちの記憶」をまたここで紹介したいと思う。

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