早道之者

MISSION

令和元年弘前市議会第2回定例会の一般質問が終わった。 今回は足を故障して松葉杖での登壇だった。議会関係者に聞くところによると松葉杖で登壇した議員は近年記憶にないという。登壇に際し、いろいろとサポートくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいだ。

今回は大きく2項目について質問した。

🔶弘前れんが倉庫美術館について

🔶弘前藩忍者「早道之者」ゆかりの地について

とりわけ反響が大きかったのは、弘前藩忍者「早道之者」ゆかりの地についてであった。質問後に様々な声が寄せられたのだが、多かったのは「弘前にも忍者がいたんだ!」という初めて弘前藩忍者「早道之者」の存在を知ったという声だった。

「忍者」というのは、近年使われる総称で、本来は日本各地でその呼称は異なり、例えば、越後・越中では「軒猿」、加賀では「ねずみ」、薩摩では「山くぐり」等の呼称があり、ここ津軽では「早道之者」と呼ばれていた。この早道之者は、1673(延宝元)年に、4代藩主・津軽信政公に江戸で召し抱えられた甲賀忍者・中川小隼人を中心に結成され、蝦夷地や藩内のアイヌの監視、松前や南部藩等の隣藩での諜報活動を行っていたといわれており、ここ数年の調査により、忍術書の原本と思われるものが図書館で発見されたり、弘前市内に早道ゆかりの屋敷があること等が確認されたりと、長い間謎のベールに包まれていたその存在がクローズアップされるようになった。 弘前藩には、早道之者以前にも藩祖為信に仕えた服部康成という忍術使いの名家老がいた。服部康成は関ケ原の戦いで大垣城攻めに参加したころに仕官、城内に潜伏して情報収集や内部撹乱で勝利に貢献したという話もあり、弘前藩の400年以上の歴史の中で、様々な年代に忍者の存在があった。

「忍者」というのは、その存在ゆえにこれまで詳しい資料が表に出ていなかった印象がある。よく古老のおべ博士にたずねても「忍者は今で言うスパイだもの、秘密の存在だから痕跡を残すわけないべ~」と詳しいことはわからないとされていた。 数年前に、「ブラタモリ弘前編」で資料提供等に活躍された広瀬矯正歯科クリニックの広瀬先生から見せていただいた明治2年の弘前古地図(現在は弘前図書館蔵)の中に早道之者の訓練場の記載を見つけ、個人的に興奮したのを覚えている。(※早道之者の訓練場のことについては次回にでも触れたいと思う)

今回、この早道之者の活動拠点だった思われる市内にある古民家が、取り壊しの危機にあり、弘前市に文化財として保護のための調査を依頼、残念ながら文化財的価値付が困難であるという解答であったということから、その調査結果について質問をさせていただいた。 市ではこれまで、数軒の武家住宅を市有形文化財に指定してきたことがあるが、これらは宝暦年間に弘前藩が作成した武家住宅台帳である「御家中家鋪建家図」に記録された建物で、18世紀半ばに建築された建物であると確認ができ、当時の部材や間取りがよく残っていること等から歴史的・学術的価値が高いとされたもので、今回の忍者屋敷は、既に指定されている武家住宅に比べて、建築時期が新しいことや、建物の改修部分が比較的多いことなどが確認されたことから、文化財としての価値づけが困難であったという。 文化財の指定というのは、このように様々な角度から調査し、結果、要件を満たさなければならない。見た目には古い建物であっても、建築年代が新しかったり、記録が確認されなければ価値付が難しいのだ。現在、弘前市にある文化財指定を受けた建物の多くはこういった厳正な調査の基に指定を受けている。弘前市は関東以北で最も文化財指定を受けた建物が多い都市である。こういったまちに暮らす我々は、文化財に対する知識もある程度知っておきたいところだ。実はこのことも今回取り上げた理由の一つでもある。

このように建築年代や、増改築によりオリジナルの状態にないこと等で、希少な建物であっても惜しくも文化財にならないといった事例は多い。弘前市は大きな戦災、天災に遭わなかったこと、また所有されている方たちが自己負担を伴いながら維持し保存してきたことから、藩政時代の建造物、明治大正時代の洋館等、多くの古い建築物が現存し、古い町並みが残っていることをこれまで観光資源として活用し恩恵を受けてきた。しかしながら、今回の忍者屋敷のように文化財に指定されない、様々な理由で所有者が手放さざるを得ない、取り壊せざるを得ない、そんな事情を持つ古い建物が今後も多くなることが予想され、これまで弘前のセールスポイントであった古い町並みがどんどん消えていく、歴史に培われた弘前の個性が失われるという危機感を覚える。中土手町の一戸時計店跡等もそうだが、様々な理由から今後古い建物が危機的状況をむかえる。そんな時期に差し掛かっている。 今回質問したのは、なんでもかんでも市費で古い建物を保護してほしいという短絡的な話ではなく、これまで弘前ならではの景観形成を支えてきた歴史的建造物を地域経済活性化に寄与するよう、有効に活用しながら保全する必要性と、古い建物の滅失傾向を抑制する、官民が一緒になって知恵を出し合う実効性のある仕組みづくりの検討が急務だと思ったからだ。

最近、気が付いたら更地になっていた、駐車場になっていた、という景色が変わる寂しい場面に遭遇することが多くなってきた。形のあるモノはいずれ無くなる。いたしかたないことだとも思う。手を尽くさずに無くなってしまってから後悔しても遅い。この古い町並みをセールスポイントにしてきた弘前にとっては、ここでしっかりと向き合わなければならない課題だ。

「忍者」というのは、「侍」と並び、近年増加する外国人観光客が日本に抱くイメージの中で、引きの強い、わかりやすいコンテンツであり、多くの外国人観光客が興味を抱く日本特有のもの。忍者を含む「日本の歴史・文化体験」については、JNTOが訪日外国人向けに実施している消費動向調査において高い数字を示しているほか、弘前公園の武徳殿で行われている「お殿様お姫様衣装着付け体験」は外国人観光客の利用が年々増加していることからも日本人観光客はもとより、外国人観光客向けのツールとして、観光面での活用に期待がかかる。津軽の忍者「早道」ブランドというのも弘前にとってはインバウンド観光の新たな切り口になるかもしれない。忍者屋敷についても忍者資料館としての活用はもちろん、ゲストハウス、くノ一カフェとアイデアは尽きない。古い建物が地域に経済波及効果を持たらしながら、建物そのものも自前で持続的に保存活用されていく、そんな先例になることを願って知恵を絞りたい。

(長文にお付き合いいただき、ありがとうございます)

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