心して…

ご報告

昨日、令和元年 弘前市議会 第1回定例会が閉会しました。

あらかじめ事前学習をして臨んだものの、はじめての市議会は毎日が勉強の連続でした。 毎日キョロキョロしながら先輩議員の後ろをついていった姿は、はたから見れば新入生、新入社員のようだったと思います(笑汗)。 先輩議員の皆さんからは、会派の枠を超えいろいろと気にかけていただき、多くの御助言をいただきました。本当感謝です。

今回は初の一般質問で、壇上からの質問を経験しました。 議長から登壇を許された時、市政の壇上へ押し上げていただいた感謝の気持ちがこみ上げ、同時に責任の重さを感じ、「心してやらねば」とフンドシを締めなおしました。 市政という新しいライブステージをいただいたことに感謝し、誠心誠意努めて参ります。今後ともよろしくお願いいたします。

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昨日は閉会後、吉野町の弘前れんが倉庫美術館の工事現場見学会も行われ、議員約20名が参加しました。 倉庫内は、たくさんの足場が組まれ、リニューアルに向け補強工事が行われていました。 その作業現場を見ながら、この建物を建てた福島藤助さんが生前語っていたと云われる、ある話を思い出しました。

コンクリートがまだ一般に普及していなかった明治40年代、煉瓦づくりの建物が頑丈で最良のものだった。しかし、煉瓦づくりの建物は大変大がかりな工事で、経費もかかり、倉庫としては寒冷地に不向きなものと考えられていた。吉野町の赤煉瓦倉庫をつくった福島藤助は、建設時、そのことについて次のように語ったという。

「自分がこれからはじめる事業は全て弘前市の発展を考えてやるものであって、福島個人が子孫のためにやるものではない。確かに木造だと経費も安くすむが、仮に自分の事業が失敗すると誰かの人手に渡ってしまう。そうなると木造だとすぐほごされ、跡が残らなくなる。煉瓦だと簡単にほごすことができないから残れば必ず何かの役に立つはずである。自分は今事業に失敗しても悔いはないが、これらの建物が弘前市の将来のために遺産として役立てばそれでよいのだ」(「ここに人ありき」昭和45年陸奥新報社発行)

この場所には、煉瓦倉庫が出来る前、弘前りんごのレジェンド・楠美冬次郎の「りんご園」があった。そこに福島藤助が全国的にもまだ例の少なかった四季醸造に挑戦するため、大規模な酒造工場を作ることを思い立った。当時、土淵川沿いのりんご園の跡に何十台もの荷馬車をつらねて建築資材が連日運搬され、軍用施設にも劣らない広壮な建物が次々建てられていくのを見て城下町の静かな環境に育った弘前の人たちは思いも寄らない福島藤助のその大計画に、すっかり度肝を抜かれてしまったという。 昭和に入ってからは、吉井勇さんが日本で初めてシードルを醸造し全国販売を開始し、平成に入ってからは弘前出身の奈良美智さんがこの場所で展覧会を開く等、弘前の歴史を紐解いた時、節目節目で、この場所はエポックメイキングな出来事の舞台となっている。 正にこの場所は人知を超えた不思議な空間(個人的にはこういう場所こそパワースポットと呼ぶべきでないかと思っている)なのである。

今回の議会でも、この「れんが倉庫美術館」について、複数の議員が一般質問で取り上げていた。2020年のオープンを前に未だ様々な意見が飛び交っている。

時を超えいろんな人がつないできたこの「場所」への人々の思い、感心は半端ない。だからこそ、「れんが倉庫美術館」の活かし方は「心して」考えなければならないし、令和の時代の新しい財産にするための議論を深めていかなければならないと思う。

※7月14日にスペースDENEGAで、開館記念イベント ~弘前から開く新しい美術館とは~が開催されます。

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