ご当地グルメ(下) ~風の人・土の人~

観光

近年、スーパーや市場のお惣菜コーナーには定番商品として並び、ほとんどの居酒屋で定番メニューとして提供されるようになったイカメンチ。古くから津軽地域の食卓に並んでいた家庭の味なのだが、10年ほど前は家庭でもあまり食べられなくなっていた。

今から10年ほど前に千葉県出身で現在は地元経済団体に勤務する知人が、居酒屋で世間話に興じていた時、「自分は父の仕事の関係で小さい頃から全国を転々としていたが、初めて弘前でイカメンチを食べた時に、こんな美味いものがあったんだと感動した」という話をした。居合わせた常連客はその話にビックリ。津軽に暮らす者は幼いころから食卓でイカメンチを食べていたので、唐揚げや、かき揚げ等のように全国で食べられている物だと思い込んでいたのだが、彼は「弘前で初めて食べた」「おそらく津軽地方にしかない」という。隣の席で飲んでいた生粋の地元人が「嘘だべ?だってイトーヨーカ堂のお惣菜屋でイガメンチ売ってるよ!」と猛反論。イトーヨーカ堂は全国チェーンなので、そこで売っているものは全て全国共通のイメージがあるのだが、お惣菜はそれぞれ地元の業者が入っている。それを聞いた隣の席のお客さんは納得できないような顔をして首を傾げたという。その話が発端となり、その居酒屋ではしばしイカメンチ談義が続いた。

「イカメンチの調理の仕方は大きく分けて揚げと焼きがある」

「醤油をかけて食べる、大根おろしがあればなおいい、いやいや自分はソースをかけて食べる」

「最近は昔ほど家で作って食べなくなった」

「お惣菜屋さんには昔は当たり前にあったけど、そういえば最近取り扱っているところが少なくなったね」

イカメンチを酒の肴にしているうちに、いつしかイカメンチの調査研究が本格的に開始された。調べれば調べるほどイカメンチは奥が深かった。

イカの水揚げが全国トップクラスの本県の八戸市では、イカメンチはまったく馴染みがない。とか、同名の食べ物が静岡県の熱海市網代にもありそこでは昔から郷土料理として食べられているが、つくねのような練り込み系で若干レシピが違い似て非なるものだとか…

やはり、イカメンチは全国どこにでもあるものではなく、少なくとも北日本では津軽地域特有のもので、それも青森県の西海岸のイカどこ鰺ヶ沢から弘前方面にかけて分布していたことがわかった。

内陸の弘前地域にとっては、イカは貴重な海の幸。それを余すところなく食べるために、いい部分は刺身などで食べ、ゲソ等の部位は包丁でミンチ状にして揚げたり、焼いたりして食べた、言わば津軽のおふくろさんのアイデアレシピ(おふくろの味)であったのではいかという推論に到達した。

10年前の当時は、イカメンチが家庭でもあまり食べられなくなり、お惣菜屋さんからも姿を消しつつあった。それに危機感を感じた件の居酒屋に集る常連有志が津軽弁訛りそのままに「いがめんち食べるべ会」を結成。仕出し屋や居酒屋等に声をかけ、「いがめんちレシピコンテスト」を開催したり、「いがめんち提供店マップ」を作成、徐々に姿を消しつつあったイカメンチはこれを機にスポットが当たり出し、スーパーや市場のお惣菜コーナーに再びイカメンチが並び出し、ほとんどの郷土料理店、居酒屋等で定番メニューとして提供されるようになった。時にB級グルメ、ご当地グルメブームの真っ最中だったこともあり、多くの旅行雑誌に取り上げられ全国区に。

これは他所からやって来た人の視点がきっかけで、その土地ならではのものが再発見、再認識され、光が当たった好事例だと私は思っている。

今年に入り津軽あかつきの会の『津軽伝承料理』(柴田書店)がベストセラーを続けている。津軽あかつきの会は、弘前市で津軽地方の郷土料理と食文化を伝える活動をしている女性だけの料理研究グループ。同会が作る伝承料理は、冬場、農産物が何も採れなくなる中で発展した干す、発酵させるといった工夫を凝らした雪国ならではの保存食。春までの間を今ある食材でつなぎ、栄養的にもそん色なく提供するための昔の人の知恵の結晶。正に津軽の元祖ご当地グルメだ。

保存の知恵が詰まった菜食中心の津軽のオフクロの料理の数々は、今、食の世界で注目される学びが詰まっているという。その価値に気づいた全国の料理関係者、出版関係者たちが同会の活動、料理レシピに興味を持ち、そこから多くのメディアで紹介されるように。これも他所の人たちが注目し価値が見出され再び光を放ち始めた好事例だ。

長くそこに暮らす地元人たちにとっては、こういった食文化もあたりまえのもので、その価値や魅力に気づく機会が少ない。価値がわからないので、せっかくのいい文化も時代とともに簡単に失ってしまうこともある。そういう意味でその価値を気づかせてくれる、光が当たる道筋を知らせてくれる「他所の人」の視点、意見は貴重だ。

地方創生の話の中でよく、他所の人のことを「風の人」、地元の人を「土の人」と例えていることがある。これは、農学者だった玉井袈裟男氏(1925〜2009)が立ち上げた「風土舎」の設立宣言等を参考に引用されているらしい。

(以下一部抜粋)

風は遠くから理想を含んでやってくるもの

土はそこにあって生命を生み出し育むもの

土は風の軽さを嗤い、風は土の重さを蔑む

愚かなことだ

愛し合う男と女のように、

風は軽く涼やかに

土は重く暖かく

和して文化を生むものを

魂を耕せばカルチャー、土を耕せばアグリカルチャー

理想を求める風性の人、現実に根をはる土性の人、集まって文化を生もうとする

「風」と「土」が和すれば、それは「風土」になるという。

交流人口、関係人口が増えれば、風土が生まれることもある。いつの時代もまちの文化の発展には、気づきをもたらしてくれる風の人との良い出会いは必要だ。

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